提橋和男の新管理人のつぶやき

(2008/11/26)


提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1123_2


西武に勝算有り…ゲーム展開ズバズバ的中、工藤予言
テレビ解説で神懸かりトーク

とにかく当たる工藤予言。現役最

“クドトラダムス”の大予言だ〜!? 日本シリーズは原巨人が3勝2敗として日本一へ王手をかけた。このシリーズでは、現役最年長の横浜・工藤公康投手(45)が第2戦から第5戦まで異例の「テレビ中継ゲスト解説4連投」。放送中にこれから起こることを「サキヨミ」すると、これが次から次に的中し評判になっている。その工藤が「第7戦までもつれ込む展開なら、西武にも勝算あり」と断言した。

今年の日本シリーズは、第2、第3、第4、第5戦の計4試合をテレビ朝日系列が放送。工藤はその全試合にゲスト解説者として登場した。今季は左ひじの違和感に悩まされ、わずか3試合の登板で0勝2敗に終わった工藤だが、そのトークは神懸かり的だ。

第3戦の3回の西武の攻撃。無死一塁の場面で今季公式戦打率が.238に過ぎない細川が打席に入った際、工藤は「(巨人捕手の)鶴岡君が一塁走者の盗塁を警戒してスライダーを使わずにそれ以外の球だけで打ち取ろうとするなら、ヒットの確率が高い」と断言。直後、細川は内海の速球を叩きレフト前ヒットとなった。

逆に、公式戦打率.317を誇る西武・栗山の打席では、工藤が「この打席に限っては、どんな球種を投げても打たれることはなさそう」と見切ると、その言葉通り、遊ゴロに倒れた。

また、第5戦の5回に突然、西武の主軸・中島の交代が告げられると、間髪入れずに「打席中に何かあったとすれば、自打球か脇腹しかない」と指摘。後に球団が左脇腹痛と発表した。

結果論であれこれ物を言う評論家は数あれど、工藤は事前の予測がズバズバ当たるのだ。

当の工藤は「そりゃ当たるさ。よく観察していれば、起こり得ることの選択肢は少なくなる」と事も無げ。通算222勝の実績、現役バリバリの感覚に裏打ちされた洞察力はさすがと言うしかない。

テレビ朝日関係者は「工藤さんの話術はもはや現役選手のレベルではない。しゃべりが流暢で内容も濃い。4連投をお願いしたのは、GL両方に在籍したことがあり、両方を語れる。特に西武・渡辺監督と親しいから」と話す。

確かに、工藤はプロ27年で日本シリーズに14度出場し、日本一11回。うち、西武で11度(日本一8回)、巨人で2度(同2回)。ダイエーで1度(同1回)。こんな選手は他にはいない。

そこで、6日の第5戦の放送を終えたばかりの工藤を直撃し、今後の展開を占ってもらった。

工藤は「戦力は巨人の方が上」としながらも、「第7戦までもつれ込んだら分からなくなる。西武の特長は若さ。第4戦で巨人を完封した岸が中3日でリリーフで登板できるだろうし、(第5戦に101球で降板した)涌井も登板可能。もともと中継ぎの層の厚さで巨人が数段上だけど、こうなると遜色ない顔ぶれになる」とし、「西武はナベちゃん(43歳の渡辺監督)やデーブ(41歳の大久保打撃コーチ)が、チーム内のコミュニケーションを実にうまく取っている」と、まだ西武にも勝ち目はあると読む。

とにかく、両軍に友人・知人が多い工藤。試合前には自然と工藤を中心に選手、裏方さん、報道陣らの輪があちこちにできる。

西武・岸をつかまえ、「君のストレートは素晴らしいよ。ただ、もう少しウエートを増やした方がいいな(岸は180センチ、68キロ)。おれは入団時に85キロあった。もっともシーズンが始まったら、練習もきついし雑用もやらされるしで3カ月で15キロ減ったけどね」とアドバイスする一幕も。岸が直立不動で聞き入っていたのは言うまでもない。

工藤はきょう7日、横浜の沖縄秋季キャンプに合流する予定で、第6戦以降には姿を見せないのは何とも惜しまれる。果たして西武が第6戦で逆王手をかけ、“工藤予言”の条件を満たすことができるかどうか。

■工藤公康(くどう・きみやす)

1963年5月5日、愛知県豊明市生まれ、45歳。名古屋電気高等学校(現愛工大名電)から81年にドラフト6位で西武に入団。西武黄金時代の中心投手として活躍した。94年にFA宣言し、ダイエーに移籍。99年、2度目のFA宣言で巨人へ。

2007年、横浜からFAで巨人に移籍した門倉健の人的補償として横浜へ移籍。現役最年長投手で実働27年は歴代1位。06年までに在籍した全ての球団で優勝と日本一を経験していることから、「優勝請負人」の異名を取る。

シーズンMVP2回、最優秀防御率4回、最高勝率4回、最多奪三振2回、最優秀投手1回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回、日本シリーズMVP2回。通算成績は222勝137敗、防御率3.40。愛称は「カリメロ」、「ハマのおじさん」など。身長176センチ、体重80キロ。2男3女の父。

【日本シリーズ日程】
第1戦 1日(土)巨人●1−2〇西武(東京ドーム)
第2戦 2日(日)巨人〇3−2●西武(東京ドーム)
第3戦 4日(火)西武●4−6〇巨人(西武ドーム)
第4戦 5日(水)西武〇5−0●巨人(西武ドーム)
第5戦 6日(木)西武●3−7〇巨人(西武ドーム)
第6戦 8日(土)巨人  −  西武(東京ドーム)
第7戦 9日(日)巨人  −  西武(東京ドーム)
(注)すべて午後6時15分開始。一方が4勝すれば打ち切り。延長は15回まで行い、引き分けで第8戦実施の場合は第7戦の翌日に東京ドームで開催

ZAKZAK 2008/11/07

渡辺日本一

 

ナベQ日本一修業実る…森政権時代の経験いかす
11月10日16時59分配信 夕刊フジ

日本一の舞いに涙はなかった。もつれにもつれた第7戦で3−2と逆転勝ち。巨人絶対有利の下馬評を見事に覆した。リーグ優勝時の胴上げでは涙を流した渡辺久信監督(43)だが、東京ドームで9度宙に舞った顔は、勝負師の会心の笑顔だった。

「最後まで1点を争う勝負になった。うれしいのはあるけど、近来まれに見るいい日本シリーズになったのが一番うれしい」

心憎いばかりの日本一コメントだ。今季198本塁打をマークした破壊力のチームらしからぬ、インサイドワークでの勝利だった。

この日の先発は右足内転筋の故障から復帰した西口。約1カ月半のブランクが影響し、2回までに2点を失ったが、3回からスイッチした左腕・石井一、5回からリリーフしたエース涌井がそれぞれ2イニングずつをゼロ封。ケガ明けで不安の残る西口をカバーすべく先発3人でゲームを作ると、星野、グラマンと勝利の方程式にゲームの締めを任せた。前日8日の第6戦で下降気味のリリーフ陣を見切り、第4戦で完封した岸を起用、“使える”戦力を集中的につぎ込む采配だったが、最後は中継ぎ陣のメンツをつぶさない心憎い配慮も忘れなかった。

「短期決戦はこういうもの。ボクが(現役で)やっていたころも、こういう使い方をしていた。自分で描いていた感じになったよ」

前年Bクラスのチームを就任1年目の監督が日本一に導いたのは史上初。西武・後藤オーナーからは「これから先もしっかりやってほしい」と長期政権を熱望する声も飛び出したが、そのタクトは一朝一夕にできあがったものではない。渡辺監督には指導者として2つの原風景があった。

ヤクルトを自由契約になった1999年、渡辺監督は台湾に渡り嘉南勇士で投手兼任コーチに就任。その年のシーズンで18勝の大活躍を見せた一方で、指導者としては強烈なジレンマに陥った。

「何でこんなことができないのか」。日本球界での経験を異国の若者たちに伝えようと必死になっても思うことの一つも伝わらない。「こんなことも理解できないのか」とバカにしようものなら選手たちからソッポを向かれる。口のきき方一つで総スカンを食らう文化でもあるからだ。

そんな壁を乗り越えるために、若き日の渡辺コーチがトライしたのがコミュニケーション能力の向上。時給5000円で中国語の家庭教師を雇い、マンツーマンでの集中講義を受けて中国語をマスターした。磨き上げた“言葉の力”が、若獅子たちとのコミュニケーションに力を発揮している。

2004年に古巣・西武の2軍投手コーチに就任。翌05年から2軍監督兼投手コーチとして本格的な指揮官修業に入ったが、指導の度に蘇ってくるのが、自分自身が主力投手として活躍した森祇晶政権時代の経験だった。

森監督は緻密な采配と起用で黄金時代を築き上げたが、ミスをした選手へのお説教も“緻密”だった。「選手のやる気をそぐようなことはしちゃいけない」。最も嫌ったのがゲームでミスをした選手に与える“罰練”。敗戦後に球場に居残って守備、バント練習などを行う風景を思いだすたびに、「やる気をそいで追い込むだけ。全く意味がない」と禁止した。

各コーチの頭ごしから選手に指示を与えることもしない。指示はコーチから選手−の原則を貫いている。それは監督とコーチの指示が違うことから生じる選手の混乱を避けるためだ。コーチの指示を受けながら「監督がこういっているからやらなければダメだ」と迷いに陥る光景を幾度となく見てきたからだ。

「1年目のダメな監督を盛り上げてくれて感謝しています」。そう謙遜した指揮官の苦しい修業経験が、日本シリーズでの名采配を生み出した。

【西武・渡辺監督の話】【 「チームの思いと家族、ファンの思いがこの2連戦に凝縮された。就任1年目のへぼな監督を盛り上げてくれた選手に感謝したい。やるからには日本一を目指して強いチームにしようと思った。最高の日本シリーズができてうれしい」

【渡辺 久信(わたなべ・ひさのぶ)】

1965(昭和40)年8月2日、群馬県生まれ、43歳。前橋工高から84年ドラフト1位で西武入団。最多勝3度などエースとして西武の黄金期を支えた。98年ヤクルトに移籍。通算成績は389試合に登板、125勝110敗27S、防御率3.67。99年からは台湾・嘉南勇士で投手兼コーチとして活躍。2001年に現役引退。04年に西武2軍投手コーチ、05年からは2軍監督を務め、今季1軍監督に就任。年俸5000万円。


実った執念リレ−


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