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提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1088
水の舞「1号機」
平成6年6月1日(土)、三菱樹脂のブランド名「水の舞MI−7000」が発売を開始した日である。水の舞は日本トリム社のTI−7000のOEM商品で、日本トリム社にとっては提携企業の第一号が三菱樹脂でありました。
6月1日、私たちは5台の「水の舞」を車に乗せて「いざ出陣」と張り切って出発しました。私たちは販売はもちろん、取り付けの実習も兼ねていましたので、業者の方と一緒に東京と千葉のお客様5件を回る予定だったのですか、取り付けや説明に結構時間を要したことと、渋滞で時間のロスが大きく、結局3件回ったところで、皆グロッキーになってしまいました。(本当に疲れたんですよ)
取り付け業者さんのご苦労を身に染みて感じたものでした。
翌日2日(日)は湘南のT専務宅の取り付け。T専務は技術畑の専務でしたので、電気分解についてもいろいろと異論もおありであったと思われますが、担当部長の説得で取り付けいただいたのだと思います。
今年1月、買い替えキャンペーンのチラシをご覧になられた、すでに引退されておられる(元)T専務から、「水の舞が古くなったので、新型のものに買い替えたい」とお電話をいだきました。(やったネ!)
ご希望は水の舞と同じ、使い慣れている2WAY方式がご希望でしたのでTI−8000を持参して湘南のご自宅を14年ぶりに訪問いたしました。
水の舞を取はずしながら、あのころのことが蘇ってきました。結局、皆、いなくなってしまった。専務も退職されたわけだし、私もリストラになった。三菱樹脂は水の舞の取扱いを止めてしまった。人は去り、人は変わり、会社も変わった。
本年4月からは三菱化学の関連会社がすべて統合されて100%子会社として新生「三菱樹脂」がスタートした。会社の規模も社員の数も、元三菱樹脂とは比べものにならない大きな会社になってしまった。本社ビルも日本橋三越本店の側に「三菱樹脂ビル」と看板を掲げた堂々たる自社ビルである。
かつての本社(三菱ビル)や関東支社に取り付けされていた「水の舞」も新本社ビルでは一部の社員の強い要望があるようですが、水の舞を知らない社員が圧倒的に多数になってしまった現在、いつ取り付けられるのかメドがたっていないそうです。
そんな中で、あれから15年、「水の舞」の看板を背負って、電解還元水一筋に歩んでいる馬鹿がひとりいるのです。そうです。私・管理人こと提橋和男です。
今では日本トリム社の代理店としてトリムイオンの販売を行っていますが、三菱樹脂の「水の舞」のメンテナンスやアフターフォローをメーカーの三菱樹脂に変わってさせていただいているのです。(本当はメーカー責任なのだから、私は三菱樹脂から業務委託料をもらっても罰は当たらないとおもっているのですが…そういう話は一切ありません)
いろいろなことが走馬灯のように巡って、元専務との会話も弾みました。元専務も70歳半ばをとうに過ぎたお歳だと思われますが、ご夫妻ともにお若くお元気です。
14年間「水の舞」を使われたご感想をうかがうと、「この歳になっても病もなく元気で生活していることは水の舞のおかげかなあ」と仰られました。
「病もなく元気で…」という皆様は、「そんなことは…」と思われるかもしれませんが、リストラを断行した後、職場の空気も変わって、ガンでなくなった方や病に倒れた方が多くあったそうです。私の経理時代の上司だった専務も退職して数年でガンで亡くなられました。組合の執行委員長もガンで亡くなられました。まだ40歳代の若さで。彼は経理時代の私の後輩でした。情報をくれた方が仰っていました。東京へオルグにきて組合員との懇親の席でもお酒の飲み方が異常になっていたというのです。相当苦しんでいたのだろうと察するにあまりあります。リストラはリストラされたほうも大変だったけど、リストラした方も、残った社員も大変だったのです。まして組合の執行委員長は労使の狭間で精神的な苦しみがどれだけあったでしょう。
そして、作家の風樹茂氏によると、取材でわかったことは、当時リストラを行った企業は、ガンで亡くなる方が多く出たということだそうです。ですから、三菱樹脂だけの特殊なことではなかったのだと思います。企業も人も大きく傷ついた時代だったのです。
そういうハードルを健康で乗り切れたのは「還元水のおかげ」というのは元専務の実感かもしれません。
歳月を越えて、こうしてかつての会社の上司や同僚の方々とお会いできるのも、お互いに健康で、そして「水の舞」の仕事を続けてきたおかげです。
ところで元専務の「水の舞」のNoを見てびっくり!なっなんと「水の舞1号機」、これ博物館ものですよ。もっともメーカーはいまやそんなこと興味ないだろうし、関心があるのは私だけでしょうね。
考えてみれば、あの日取り付けた水の舞はNo1号機からせいぜい10号機という機器だったんですね。そして1号機が元専務宅だったということは、もしかしたら担当部長の配慮だったのかもしれません。
いろいろな思いがこもった1号機が水の舞の事務所に帰ってきました。私は電解還元水に出会って「天職に出会った」と本当に思って、この道に入りました。そして取り扱ったのが「水の舞」。
私の手元に1号機が帰ってきたのはきっと何かの因縁があってのことだと思います。
1号機は、いろんな意味で私の宝になるかもしれません。
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| 三菱樹脂ビル |
水の舞1号機 |
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