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提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1075_2
正論】京都大学名誉教授・加藤尚武 学術会議の「代理出産」見解
産経ニュース
2008.4.4 03:27
≪試行的な実施は容認≫
女優の向井亜紀さんは、手術で子宮を摘出してしまったために、自分では赤ちゃんを産めないので、夫の精子と自分の卵子からできた受精卵をアメリカの女性のおなかにうつして代理に懐胎(出産)してもらった。
双子の男の子を得たが、日本のお役所では「自分のおなかを痛めたのでないとはっきり分かっている子どもを向井さんの実子として戸籍にいれるわけにはいかない」と届け出を突っぱねた。
法廷で争う結果になったが、最高裁判所は平成19年3月に「子の母は現行民法の解釈としては、その子を懐胎し出産した女性と解さざるを得ず」向井さんとの間では母子関係は認められないという判決を出した。
しかし「代理出産という民法の想定していない事態が現実に生じている以上…立法による速やかな対応が強く望まれる」という要望が書き加えられた。
法務大臣と厚生労働大臣はこの問題について、日本学術会議に審議を依頼した。日本学術会議は平成17年の法律の改正で、内閣総理大臣の直属となり「政策提言機能の強化」という方針を打ち出したところである。両大臣の依頼を受けて、日本学術会議は国民のための学術コンサルタントとしての初仕事をした。
1年以上審議した上で、代理懐胎は原則禁止、ただし試行的な実施は認める、分娩(ぶんべん)者を母とするルールは変更しないという結論を出した。
私は、この問題に関する厚生労働省の「専門委員会」(平成12年)、同「部会」(平成15年)以来ずっと審議に参加してきたが、「代理懐胎は人間の本性に反するから全面禁止」というような理論的な断定を下すことは避けるべきであると思う。代理懐胎した人の実情も調べなければ判断は下せない。
≪「分娩者が母」を問う≫
しかし、子どもの実母が誰になるかということは早く決めなければならない。
日本で「分娩者が母となる」という民法解釈を確定した最高裁の判決が出たのが、昭和37年である。代理懐胎という新しい技術が登場すると「分娩者が母となる」というルールが、以前の内容とは違う意味になってしまう。
代理懐胎以前であれば、子どもの卵子を提供した人が法律上の実母になれないということはあり得なかったのに、向井亜紀さんは今のところ実母になれない。
以前には、他人の卵子を使って自分の子どもを生むことは不可能だったのに、「分娩者が母となる」というルールをそのまま継続すれば、他人の卵子の子どもを生んだ人はその子の実母となる。こういう新しい事態が発生しているのだから、「分娩者が母となる」という民法解釈を一度国会の審議にかけて、継続するかどうかを決めなくてはならないと私は思う。
しかし、「分娩者が母となる」というルールを変更する必要がないと主張している学術会議の委員は、民法にそのような変化はすでに織り込み済みだから、そのまま継続すればいいのだという解釈を打ち出している。
これは法律の解釈で決めるべき問題ではなく、再審議が必要か、必要でないかを決めるのも、国会の役目である。
≪「禁止」の決定下さず≫
向井さんのように、自分の夫の精子と自分の卵子、他人のおなかで赤ちゃんを得たばあい、「向井さん夫妻の受精卵を確かに代理懐胎者に着床させました」という医師の証明書があれば、その子どもを向井さん夫妻の実子とするという内容に法律を変えれば問題は解決する。普通の出産をしたばあいは、従来通り「分娩者が母となる」というルールを適用する。
二重の基準を用いることで社会的に混乱が起こるということはない。
代理懐胎でもっとも深刻なトラブルは、自分のおなかで赤ちゃんを育てた人が、「分娩者が母となる」というルールを盾にとって、その赤ちゃんを引き渡したくないと言いだしたときに起こる。
その人は、もともとは育てるつもりはなかったし、育てる条件も限られているかもしれない。
赤ちゃんの立場から見れば、遺伝的に親である依頼者に育ててもらうのがいちばんいい。生まれた時に赤ちゃんが依頼者の実子になっているというように法律を作っておくことが、赤ちゃんのためにはいちばんいい。
学者の使命は国民のまえにどういう選択肢があるかを示すことにあり、国民に成り代わって「代理懐胎は禁止する」と決定を下すことにはない。学術会議が、政治上、宗教上のさまざまな立場に対して中立を保つにはどういう審議方法を採用すべきかという重い課題が残った。(かとう ひさたけ)
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