提橋和男の新管理人のつぶやき
(2008/01/22)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1047

国家の品格

国家の品格読売新聞に印象的な記事が載っていた。「国家の品格」の著者・藤原正彦氏の文である。現代日本人の忘れ去った日本人の教養、心に触れている。戦後、アメリカの占領政策によって(いわゆる日本人白痴化60年計画)日本人は民族の誇りや伝統文化を失い、歴史をも失ってしまった。しかし戦後60年日本を見直す動きが出始めている。
今の政治や経済、社会の混迷も品格を失った指導者の影響が大きいのかもしれません。しかし、藤原正彦氏はいいます。「でも希望は持っています。売れても10万部と思っていた「国家の品格」は260万部以上売れ、読者から「戦後ずっと信じてきた価値観を覆され、我に返った」というお手紙をたくさんいただいた。こうした目覚めが、ゆっくりだが大きなうねりにつながるという手ごたえを感じています」。
日本再生の道のヒントがここにあります。抜粋ですが私自身感銘したことですので、ここに掲載いたしました。
ところで皮肉(?)なことに藤原正彦氏はお茶の水女子大の教授であるそうだ。私は「大学の品格」という点でお茶の水女子大の品格を疑っていましたが、立派な教授もおられることを知って、少しだけ安心いたしました。

読売新聞連載「時代の証言者」より抜粋

 「親日派の日本人」育てよ

国を切り盛りする日本のトップエリ−トは欧米に比べ層が薄いうえ、教養の点でも負けています。原因はただひとつ、読書文化の衰退です。私の学生たちもあまり本を読んでいません。新聞さえ取っていない人が増えています。
10年程前から、新入生に古典の文庫を毎週一冊ずつ読ませる「基礎ゼミ」を担当しています。受験勉強しかしてこなかった学生には大変な負担ですが、ゼミに出席して3か月もたつと学生たちのものの考え方が劇的に変わるのです。

<基礎ゼミで読まれる本は明治期日本の知識人が書いたものが中心だ。新渡戸稲造「武士道」、内村鑑三「代表的日本人」「余はいかにして基督信徒となりしや」、福沢諭吉「学問のすすめ」「福翁自伝」、山川菊栄「武家の女性」など読んで感想を書き、討議する>

「武士道」を読ませると最初は半分ほどが、時代錯誤と反発します。ゼミでは論理的に詰めていきます。
「個人の自由が一番大事」という学生には「自分の自由と他人の自由は衝突する。正しいもの同士がぶつかるのはおかしくないですか。そもそも自由は存在するのですか。法律も道徳も倫理もみな自由を束縛しています」と問いかける。

「個人主義や自由を貫徹すると、家族で支えあう基盤はなくなりますから、あなたの仕送りもとまり、学資を作るためにあなたは多くの自由をうしなうことになりますが」と重ねて問うと学生は黙り込んでしまう。
「暴力はどんなことがあっても許されない」という学生には「革命はすべて許されないというのですね」と詰める。こうした問答を続けると、学生の物の見方、紋切り型の価値観はガラガラと崩れてしまいます。
古典には先人の英知が盛り込まれていますから、それを手がかりに、自分の頭で新たな価値観を築いていくことができます。

特攻隊で出撃して死んでいった若者たちについても、軍国主義に洗脳され無駄に命を捨てた哀れな人たちだと教わっている。でも戦没学徒兵の遺稿集「きけ わだつみのこえ」を読めば、彼らが戦争を批判し、出撃前にニーチェや万葉集を読んでいたことがわかる。母親に送った情感あふれる手紙を読み「この人たちは自分たちよりはるかに読み、深く思い、考えていた人たちだった」と気付く。

日本には誇れるものが何もないと自虐的に思っている学生も多い。でも「それでは西暦500年から1500年の間に書かれた英仏露の文学作品を合わせて三つ挙げてごらん」と言うとだれも答えられません。日本では8世紀に「万葉集」が編まれて以来、「古今和歌集」「源氏物語」など世界史上に輝く文学が数多く花開いていたのです。

数学の分野でも日本はすごかった。大学の理系に進むと1年生で必ず学ぶ行列式は、ドイツの天才ライプニッツが考えたとされますが、それより10年も早く江戸時代の和算家・関孝和が発見しているのです。
国民が祖国に誇りと自信を持たない限り国の再生はあり得ません。戦後教育が自国を卑下するような国民を作ってしまった。私が「国家の品格」を書いたもの「親日派の日本人」を増やしたいと思ったからなのです。

=07年12月22日読売新聞=

筆を折る覚悟で「品格」執筆

「国家の品格」を書きながら、実は私もこれで文筆活動は終わりかもしれないと思っていました。自由、平等、民主主義など戦後日本の金科玉条を「欧米が作り上げたフィクション」と否定したのですから。タブーにあえて踏み込んだのです。
バブル崩壊の後、自由とか公平ばかりを追求する市場原理を取り入れた結果、卑怯を憎む心意気など、世界に誇る高潔な国柄をなくした。今こそ武士道精神を、と声高に述べた。言論界から総スカンを食ってもいい、そうなったら筆を折って、また数学に戻ればいいだけと思い定めて書いたのです。

日露戦争くらいまで日本は本当に立派でした。ロシア兵捕虜を各地の収容所で手厚く治療したり、近辺の温泉や小学校の運動会に招くなど、武士道精神で遇したのです。明治時代の将軍はみな寺子屋や藩校で読み書き算盤、論語の素読といった教育を受けた世代です。即興で漢詩を作る教養があり、高い道徳性を身につけた人たちでした。

<連合艦隊を率いた東郷平八郎は後に、日本海海戦勝利記念碑が建設されるとの話を聞き、「ロシア艦隊も多大な犠牲を出して勇敢に戦ったのだから「勝利」の2文字は気の毒」と述べ削ることになった>

16世紀後半に日本を訪れたイタリア人宣教師ヴリニャーノも、日本人は生まれつき道徳を身につけていると驚いて報告しています。それが日露戦勝後は高慢になってしまった。大東亜戦争の将軍たちの品性は格段に落ちていました。武士道精神の後退です。
日本人は非常に優秀な民族ですが、少し軽薄なところがある。欧米列強が帝国主義と植民地獲得に狂騒しているのを見て、先進国のしていることだから良いのだろうとまねてしまった。
「欧米諸国は獣のようでも、高貴な日本だけはそんなことに手を染めまい」と考えるべきだった。日本は普通の国になってはいけないのです。
読書によって教養を身につけ、「もののあわれ」のわかるものが国の指導者になれば世の中は変わります。指導者が算盤勘定だけだは、普通の国ににしかなれません。

バブルがはじけた後は、経済立て直しのためならどんな改革でも断行するという風潮になりました。しかし、農業や中小企業、地方などの弱者と、中央大企業を自由競争させてそれで良いのでしょうか。1年生と6年生を戦わせてはいけないし、どうしても戦わざるを得ない時には、1年生に有利な条件を与えないといけない。いろいろ規制を作ったり、社会福祉制度を作ったりするのは、すべてのものを一律に公平に扱ってはいけないという人間の知恵です。
経済が何年低迷しようと「たかが経済」と誰かが一喝すべきだったのに、そういう政治家も文化人もいなかった。これが今の日本の実力です。でも希望は持っています。売れても10万部と思っていた「国家の品格」は260万部以上売れ、読者から「戦後ずっと信じてきた価値観を覆され、我に返った」というお手紙をたくさんいただいた。こうした目覚めが、ゆっくりだが大きなうねりにつながるという手ごたえを感じています。

=07年12月24日読売新聞=

藤原正彦/著
フジワラ・マサヒコ

1943(昭和18)年、旧満州新京生れ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。お茶の水女子大学理学部教授。1978年、数学者の視点から眺めた清新なアメリカ留学記『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞、独自の随筆スタイルを確立する。著書に『遥かなるケンブリッジ』『数学者の休憩時間』『父の威厳 数学者の意地』『心は孤独な数学者』『国家の品格』等。故・新田次郎と藤原ていの次男。