提橋和男の新管理人のつぶやき
(2008/01/18)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1046

ガンと闘う(25)

山本孝史参院議員死去

故・山本孝史民主党参院議員議員
故・山本孝史民主党参院議員議員

12月24日の朝刊を見て愕然とした。かねてから管理人のつぶやきでご紹介してきた山本孝史参院議員(民主党)の死去を知らせる記事が眼に飛び込んできたからだ。
昨夏の参院選挙では、山本孝史候補は民主党比例代表で立候補した。選挙運動もままならぬ状況で党の配慮とも思われるが、当選が約束されたわけではない。
選挙戦は、週1度の抗がん剤治療を受け、移動式酸素吸入器を携えながら街頭に立ち「国民の命を守るのが政治家の役割」と訴えた。同党最後の20議席目で当選。「時間を無駄に過ごさず、今できる仕事をやる。体をいとおしみながらやれば、3年でも6年でもできる」と述べ、がん対策や医療格差解消に取り組む意欲を示していた。
結局比代表最期のギリギリの当選だった。何としても当選してほしいと念じて私は山本議員に投票した。
人を通じて、あるいは民主党の地方議員を通じて何とか山本議員とコンタクトをとりたいと思ったが、私の努力不足でそれはかなわなかった。
「絶対、救えた命ある」と山本議員は訴え続けてこられたが、自らの命を救うことはできなかった。
この世の中は人と人とのつながりで成り立っている。情報の伝達にも人が介在する。人には様々な思いがある。情報もそれによって左右される。残念ながら私たちの情報は届かなかった。ただ無念の思いだけが沸いてきてむなしい。

【評伝】がん告白、医療充実に尽力 山本孝史氏死去

2007.12.23 21:57

 「もう治りませんといって見放された『がん難民』が日本列島をさまよっている。救える命がいっぱいあるのに、次々と失われている」

 昨年5月22日の参院本会議。自らがん患者であることを告白して、がん対策の重要性を訴えた。ハンカチで涙を抑える姿に議場は静まりかえった。国のがん対策が大きく動き出した瞬間でもあった。その翌月、がん対策基本法が成立した。

 勉強熱心で学者肌。抗がん剤治療を続けながら、患者や家族が参加するがん対策情報センターの運営評議会や基本計画を審議するがん対策推進協議会に足しげく通った。マスクをかけ、傍聴席で必死にメモを取る姿には鬼気迫るものがあった。

 「これでは、根治が不可能な患者が切り捨てられてしまう」

 こう言って、役人に厳しい注文を付ける姿もよく見かけた。

 「命の限界があるかもしれないけどね、せっかく法律ができたんだから一生懸命やりたい」

 最後に取材したのは半年前。東京都千代田区の議員宿舎の応接室だった。「国民の3人に1人はがんで死ぬ。国民が声を上げなければ日本の医療全体が良くならないんです」。せきがひどくなり、妻のゆきさん(56)が止めに入るまで熱心に記者に訴えた。一人でも多くの人に地域格差の大きい日本の医療の現状を分かってほしかったにちがいない。

 しかし、病魔は山本さんの体力を限界まで奪い、今年5月末には主治医に「もう抗がん剤治療ができない」と宣告された。一度は出馬辞退を決めたが、ゆきさんと悩み抜いて出した結論は、「がんイコール、リタイアではない」。

 今夏の参院選は、治療で身動きが取れない山本さんに代わり、山本さんが学生時代から続けてきた交通遺児支援活動や自殺対策でかかわった遺児らが、ボランティアとして支えた。

 街頭演説は4回しかできなかったが、患者としての実体験から、国の医療費抑制施策のため新薬や新療法が使われない現状の改善などを訴えた。

 「声を上げられない人に代わって、やれる仕事をしたい」

 比例代表候補として最後の議席に滑り込み、酸素吸入しながら臨んだ会見でも、同じ言葉を口にした。常に背中に、弱い立場の人の存在を感じながら行動するまれな政治家だった。(長島雅子、飯塚友子)

山本孝史議員
「絶対、救えた命ある」
     がん闘病、最期まで訴え

山本孝史議員「絶対、救えた命ある」ガン闘病、最期まで訴え「末期がんでもできることはたくさんあると伝えたい」。22日に死去した民主党参院議員の山本孝史さん(58)は、治療に専念せず、7月の参院選に出馬した理由をこう語っていた。2年間の闘病中は、がん対策基本法だけでなく、自殺対策基本法の成立にも尽力した。
命と向かい合い続けた人生だった。5歳のとき交通事故で兄を亡くした体験から、大学時代に交通遺児を励ますボランティア団体を結成した。交通遺児育英会やあしなが育英会に30年以上もかかわり、遺児たちを物心両面で支えてきた。
1993年に政治家になってからは、薬害エイズや臓器移植、自殺防止などの問題に取り組み続けた。

医師から「余命半年」と告げられたのは、2005年12月、周囲からは家族とゆっくり過すべきだと言われたが、「当事者になって患者の気持ちが本当にわかるようになった」と、政治活動を続ける決意をした。

昨年5月に国会で自らの病を告白したことで、がん対策基本法案成立を一気に加速させた。民主党の鳩山幹事長は「党派を超えて感銘を与えた尊い行動だった」と振り返る。
親交のあった玉井義臣・あしなが育英会会長は、「命を削りながら、最期まで命の大切さを訴えていた。多くの人々を励ましたその姿を、何より誇らしく思う」と話す。

最期の誕生日となった7月7日、酸素吸入器が手放せない状態だったが、様々な理由で親を亡くした大学生約100人を前に東京・代々木で講演。「いじめ、事故、災害、病気、自殺・・・絶対救えた命はあるはず。当事者である遺児の皆が声を上げれば、世の中はきっと変わっていく」と熱っぽく語った。死と向かい合いながら、「命」を守る活動を全うした。

=2007年12月24日 読売新聞(増田真郷)=