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提橋和男の新☆管理人のつぶやき 983
挑戦、男たちの詩71
さらば平成のKOキング
最後まで「坂本」貫いた
傷だらけ…プロ初のドローで幕
ファンの熱い声援に支えられ、戦いつづけた男がいる
恵まれない子供たちの夢を背負い、戦いつづけた男がいる
坂本博之36歳、ラストファイト
2007年1 月、彼は最後の戦いへ挑む

”平成のKOマン”がリングを去った。元東洋太平洋ライト級王者の坂本博之(36)が、カノーンスック・シットジャープライ(17)との引退試合に臨み、プロ初のドローで現役生活の幕を閉じた。
坂本の左目上の出血がひどく、7回終了の負傷判定で0−1の引き分け。強打は不発だったが、打たれても前に出るスタイルを最後まで貫いた。通算戦績は47戦39勝29KO7敗1分け。
15年47戦目
坂本のボクサー人生そのままの最後だった。91年12月にデビューして15年。47戦目の引退試合を終えた坂本の顔は、無数の傷とカットした左目上の傷口を覆う包帯に包まれた。それでも超満員2300人のファンは拍手を惜しまない。左手を振って応えた坂本は、静かにリングを下りた。
「現役最後の試合なのに申しわけない。最後にドローで終わったけど、それも人生かも」。17歳の相手に翻弄され、4回にスタミナが切れた。5回に偶然のバッティングで左目上をカットすると、7回に出血がひどくなった。それでも左右のフックを振った。
打たれても前進をやめないファイトスタイルが人気を集めた。
幼少時代に両親が離婚。母に引き取られたが、仕事の関係で弟、妹とともに親類の家に預けられた。一日の食事は給食のみ。空腹でザリガニや落ちていた肉まんを拾って口にしたこともあった。
その後、福岡市の養護施設に身を寄せた。わずか10か月で母のいる東京に出たが、施設のテレビで見たボクシングが、坂本の将来を決めた。幼少時代の苦労をリングにぶつけるように、荒々しい前進とKOを重ねた。
世界挑戦は4度。初回に2度のダウンを奪ったセラノ(ベネズエラ)戦。畑山隆則(横浜光)との壮烈な打ち合い。世界は届かなかったが、その間に養護施設への募金活動をするなど、ボクサーとしては異色の行動力も見せてきた。
指導者の道
「さめた時代だからこそ、熱を伝えたい」。今後はトレーナーとして後進の指導に当たる。将来は地元・福岡でジムを経営する夢もある。リングでの戦いは終わったが、熱い心を胸に坂本の戦いは続く。(片山 尚孝)
擁護施設の後輩たちも”お疲れさま”
坂本が招待した福岡市の養護施設「和白青松園(わじろせいしょうえん)」の中・高校生7人も引退試合を見守った。坂本は小学校2年の時、弟とともに同施設で約10カ月生活した。ボクサーとして成功してからも、後輩たちを気に掛けてきた。
この日、付添いで上京した江中宣夫園長(57)は「寡黙で学年の割には落ち着いた子供だった。具志堅さんの試合をテレビを見て鳥肌が立ったと興奮していたのを覚えています」と懐かしそうに振り返った。
坂本は00年7月に全国の養護施設にバソコンを贈ろうと「こころの青空基金」を自ら設立。募金などの活動をしてきた。たびたび施設も訪れ「僕はたまたまボクシングだけど、何か熱中できるものを見つけてほしい」と励ましてきた。
同施設では現在2〜18歳の126人が生活。その半数は両親による虐待で家を出たという。江中園長は「両親という心のよりどころのない生徒たちにとって、坂本の存在は希望です」と感慨深げに話した。
■坂本博之(さかもと・ひろゆき)1970年(昭和45)12月30日、福岡市田川郡生まれの36歳。上京して高校卒業後に角海老宝石ジムに入門。91年12月プロデビュー。93年12月に日本王座、96年3月に東洋太平洋王座を獲得した。06年11月、自身のホームペジで現役引退を表明。1メートル70
=2007年1月7日 スポーツニッポン=
2007-01-09 15:36:02
角海老宝石ジム広報から坂本選手に代わり
お知らせいたします。
1月6日に行われました、坂本選手の引退試合の会場、後楽園ホールエントラス前で
「こころの青空募金」を行いました。
皆様よりたくさんの募金をいただき募金総額43,565 円が集まりました。
ご協力ありがとうございました。
お預かりした募金は坂本選手が
全国の養護施設にいる子供達を支援金として使わせていただきます。
詳しくは「こころの青空サイト」 をご覧ください
⇒僕は運命を信じない
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