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提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1041
立石・仲見世店商店街

京成「立石」駅 |
東京・葛飾・立石。終戦後から昭和40年代中頃まで「立石」は、この地域の一大繁華街だった。
私の子供のころは、毎月7の日には縁日があった。わが家から田んぼの中の道を歩いて20分。家族で縁日に行った思い出は、走馬灯のように思い出される。
京成「押上」駅から「立石」「青砥」駅まで連続立体高架になる。地域の再開発がようやく行われる。同じ葛飾区内でも京成沿線地域はJR沿線から比べると開発が極端に遅れている。理由の一つに高度成長時代に京成電鉄り経営が悪化したこともあると思われる。(不動産投資の失敗。手形パクラレ事件など)
しかし、防災上からも脆弱な今の環境を改善しなければならないと、ようやく開発の手が入ることとなった。
ところが、賛否両論、議論百出。最近はマスコミも取り上げてけんけんガクガクなのである。立石駅の南側に戦後パラックから立ち上がった仲見世店商店街がある。
未だにバラックに毛が生えた程度のお見世が並んでいる。当然再開発によって消える運命かと思われたが、下町風情を残すこの町を保存すべきという声が大きくなってきた。
今、東京は開発によって古い町並みがどんどん姿を消している。一種独特の風情を残す仲見世店商店街は「浅草寺の仲見世を潰してしまうようなもの」というほどの価値があるらしい。

愛知屋 |
駅の前に、子供のころお使いに来た「肉屋」(愛知屋)さんが今もお店を開いている。ここの肉は良い肉だと子供の足で20〜30分かかる道程を歩いてお使いをさせられた思い出の店である。そういえば、立石からわが家の方まで注文を取りに来る「魚屋」さんがあった。
注文を取りに来るのは魚屋の娘さん。子供心にもきれいなお姉さんだと思った。
あるとき、お袋が、私を立石までお使いに行かせるので「自転車の後ろに乗せていってほしい」と頼んだことがある。お姉さんの自転車で立石まで行ったことも懐かしい思い出である。ある日、その魚屋産さんあるかどうか訪ねてみると、今も営業している。あのお姉さんもご健在なら70歳を過ぎたころかなあ…。
仲見世店商店街に、中学校の同級生、あこがれの民ちゃんが経営する酒場がある。お店の名前は「たみちゃん」。民ちゃんは生徒会長。私は落ちこぼれの中学生。
久しぶりに「たみちゃん」に立ち寄った。ここには「イオン活水器」がついている。以前、整水器が付いていたのだが、ちゃんとメンテナンスをしなかったので数年で電気分解しなくなってしまった。(トリムイオンならそういうことはなかったのに…)
体調はどうかと聞くと「毎日お酒を飲んでいるからダメよ」と答えが返ってきた。
「でも、水飲んでいるから、病気とかないだろ?」
「そういわれれば、病気とかないわねえ。でも姉がくも膜下出血で倒れて、今度は脳梗塞。今、半身不随なのよ」
「姉さん、お酒飲んだの?」
「姉は、お酒もタバコもやらないわよ」
「そうか、世の中不思議だね。毎晩大酒飲んでいる民ちゃんなんか、3回や5回くも膜下や脳梗塞やっててもおかしくないのに。お水のおかげたよなあ。姉さんのところトリムイオン付けてなかったっけ」
「実家には付けたけど、姉さん付けなかっのよ」
「そうかぁ…。お歳は幾つ?」
「72歳」
「72歳…。まだなあ…。そういえば木原光知子も「くも膜下」だったよね。59歳、若いよなあ。お酒とかタバコやってたのかなあ」
「あの人はワインを少し飲む程度でお酒もタバコもやらなかったていう話よ。健康そうだったのにねえ」
「やはり、食べ物が悪いんだよ」
「食べ物?」
「添加物や着色材、防腐剤。日本の食べ物は添加物漬けだから」
「でも、ああいう人は、食材を選んでいるんじゃないかしら?」
「外食が多かったかもしれないよ」
「ストレスよ、ストレス。ストレスでも「くも膜下」や「脳梗塞」になるそうだから」
「まあ、民ちゃん。しっかり水飲んで「くも膜下」や「脳梗塞」なんかで倒れるなよ!」、
店を出て駅前の肉屋(愛知屋)で、お袋に「コロッケ。メンチカツ。豚カツ」を買った。
店のおやじさんに「子供のころ、お使いでよくこの店に来たんですよ。お袋になつかしい味を味わせたくて」というと「うちの店は昭和20年からやってるからねえ」

たみちゃんと内藤選手 |
雑談している間にもお客さんが次々に来る。店の奥のテーブルの上にはこれから揚げるコロッケやメンチカツが山となっている。
お客さんは味を知っているから本物のは良く売れるんだなあ。どこかの食材誤魔化しとは全然ちがうなあ…と変な感心をしながらお袋のところへ顔を出した。
早速コロッケを口にしたお袋は「美味しい!」
立石の肉屋で買ってきたと説明しても認知症のお袋は良く思い出せないらしい。
「今度、一緒に行ってみよう」
懐かしい思い出の街。まだ昭和の面影が残っている街。立石・仲見世店商店街の一席でした。
立石・仲見世店商店街→http://www.katsushika.co.jp/nakamise/
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それにしても驚きのニュース! 木原さん、水の縁があったのに・・・プールの水では駄目か。

ベストスイマーとして佐藤江梨子を表彰したときの木原さん。ごく最近まで元気だった=6月13日、東京都新宿区 |
北島康介選手(右)と一緒に、水泳教室で指導する木原光知子さん(左)。亡くなる12日前の元気な姿だ=6日、千葉県習志野市 |
木原光知子さん急死…10日前ラジオで「健康」熱弁も
東京五輪で水泳選手として活躍し、タレントとしても人気を集めた木原光知子(本名・木原美知子)さんが18日、くも膜下出血のため神奈川県内の病院で死去した。59歳だった。亡くなる10日前にはラジオに出演して健康について熱く語っていた。
木原さんがゲスト出演したのは今月8日朝、生放送された文化放送「ドコモ団塊倶楽部」。団塊世代の健康をテーマに、スポーツドクターの平石貴久氏、漫画家の弘兼憲史氏とともに2時間半にわたるトークが弾んだ。
弘兼氏が「漫画家はみんな“目と腰”にきますね」と語ると、木原さんはこうアドバイスした。
「腰を痛めた方はスイミングがいいです。腰痛、肩こり、体の悪い人、“顔”の悪い人にも効きますよ。しかも即効です!」。ジョークを交えると、「だから木原さんは美人なんだ」と平石医師が切り返した。
その一方で、「実はきのう(7日)自由形の50メートルで、隣りのコースの人に負けたんです。ホントにショックでした。私に勝った方はものすごく喜んでいると思います。ショックで悔しくて眠れませんでした」と、負けず嫌いの一面ものぞかせた。
さらに、「洗濯しようとして冷蔵庫を開けた時はショックでしたね」と、老いからくるうっかりミスも隠さなかったが、前向きだった。
「老いることは怖くない。目的がなくなることが怖い。何でもいいから、好きなことを見つけることが大事。私たちの年代は、みなさん賢くて理解力があるから、長生きすると思います」
エンディングではこう締めくくっていた。
「まだ話し足りません。私たちの時代はこれからです。楽しみましょう。まず、健康じゃないといけないので、“泳ぐ”より“水の中で楽しんで”ください。お教えします」
関係者によると、木原さんは13日、神奈川県平塚市の親子水泳教室で指導中にプール内で倒れ、そのまま病院に搬送された。一時意識は戻ったが、18日未明に息を引き取った。
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