提橋和男の新管理人のつぶやき
(2007/10/28)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1028

挑戦、男たちの詩75

夢をあきらめるな!
野茂、メジャーヘ新天地で再起

ベネズエラに野茂旋風上陸、報道陣殺到

カラカス(ベネズエラ)18日(日本時間19日)=鉄矢多美子】


記者会見を終え
ほっとした表情の野茂
(撮影・鉄矢多美子)
大リーグ復帰を目指しベネズエラリーグに参加した野茂英雄投手(39)が、カラカスの本拠地球場で初めてブルペンに入り、30球の投球練習を行った。20日(同21日)の初登板へ向け、順調な仕上がりをアピールした。背番号は「34」。その後の会見には地元メディアが殺到するなど、ベネズエラでもトルネードの注目度は抜群だ。

真新しい背番号「34」のユニホームが、ブルペンに向かった。野茂の圧倒的な存在感は、ベネズエラでも変わらなかった。グッと腕を伸ばし、体を回転させる。「34」の背中が捕手の方まで向いた。日米通算201勝を挙げたトルネードの「風格」は、試合前のスタンドの視線をくぎ付けにした。ワインドアップとセットポジションを交え30球。客席ではファンがトルネードをまねて盛り上がり、引き揚げる際にはサイン攻めにあった。

「自分は野球が好き。というより、野球をするのが好き。自分がしたかっただけ。またメジャーに戻りたいですけど、このチームでまず楽しんでプレーしたい」。球場内で行われた入団会見は、時折笑顔もみせる穏やかな表情だった。

初めてプレーする場所だが、知らない顔ばかりではない。現役、OBも含め、大リーガーは多い。監督はドジャース時代のチームメートで、捕手だったカルロス・ヘルナンデス。レッドソックスで捕手だったルイス・ロドリゲスも所属する。野茂はこの日、遠征から戻ったチームと初めて合流したが、相手球団も含めて多くの選手があいさつに来た。「居心地良くプレーできそう」と、まずは環境に安心した。

野茂の入団はベネズエラ国内で、まさに旋風を巻き起こしている。地元紙はスポーツ欄の1面で扱い、会見にはテレビカメラ8台など部屋に入りきれないほどの報道陣が殺到。リーグ公式ホームページは写真付きのトップ項目で会見の模様を報じた。プラットGMは「こんな騒ぎは記憶にない」と驚いた。

20日の登板は中継ぎの可能性もある。「できれば先発で行きたいけど、監督と相談しながら決めていきたい」と野茂。チームにはジャイアンツのビスケル内野手や西武カブレラも来月に合流予定。世界各国で活躍する地元の英雄と一緒に、野茂は復活への道を歩むことになる。

[2007年10月20日9時47分 紙面から]

トルネード見たさに本拠地が満員札止めとなった
野茂1年半ぶり実戦1回1安打無失点

【カラカス(ベネズエラ)20日(日本時間21日)=鉄矢多美子】


もう一度メジャーで活躍が期待される野茂英雄

トルネード見たさに本拠地が満員札止めとなった。メジャー復帰を目指しベネズエラのウインターリーグに参加した野茂英雄投手(39)が、ティブロネス戦で初登板。昨年4月以来となる公式戦マウンドだったが、先発し1回打者4人に17球を投じて1安打無失点。宝刀フォークも交えて復帰戦を無難に飾った。この日のチケットは完売し、地元紙はスポーツ面のトップを割いて連日報道。メジャー1年目のフィーバーをほうふつさせる歓迎ムードの中、復帰第1章の幕が開けた。

復活を期す野茂が上々の試運転を終えた。野球が盛んなベネズエラだから知名度も絶大だった。先頭ブランコ(ブレーブス3A)から2ストライク目を奪うと、野茂の代名詞でもある「ponche!(三振)」コールが起きた。約1年半ぶりのブランクを経た実戦は、追い込んでから右前に運ばれ無死一塁からスタート。だが2番スアレス(デビルレイズ1A)を投前犠打、3番カーター(Dバックス3A)を遊飛、4番サラザー(オリオールズ2A)は投ゴロ。後続3人も2ストライクに追い込み、しっかり3個のアウトを奪った。

野茂も復帰戦の内容には満足した。「球場がいい雰囲気だった。雨で1回しか投げられなかったのは残念。でも、まぁ良かったです」。雨期の影響もあって2回、先頭打者との対戦中にスコールが始まり中断。グラウンド整備の後で再び雨が強くなり、計1時間以上もの中断を余儀なくされたため再開後のマウンドには上がらなかった。それでも全17球に確かな感触を得た。

「キャッチャーの方が僕より選手を知っているし、それに自分たちも勝ちたかったので」とカブスの控え捕手を務めるブランコのリードに従い、変化球主体に組み立てた。フォークについては、フランコ投手コーチが「とてもよく変化していた。いい仕事をした」と切れ味に驚いたほどだ。開幕8試合で3点が最高だった打線も初回、復帰戦を援護すべく先制の2点をプレゼント。投球回が少なく野茂に勝利投手こそ付かなかったが、6連敗を止めた。

球場は首都カラカスを本拠とする両軍の「ダービーマッチ」ということもあり入場券は完売。回を追うごとに膨れ上がった観衆は野茂降板に肩透かしだったが、場外にはダフ屋も出現した。現役メジャーが本格参戦前の10月としては異例の大入りで、地元紙はチーム名「レオネス(ライオンの意味)」に引っ掛けて「Ruge(ほえろ) Nomo」とスポーツ面のトップで伝えた。ドジャース時代にバッテリーを組んだヘルナンデス監督も「私の知っている野茂だ。私もまたプレーしたくなった。今日の彼ならすぐにメジャーに上がれる」と喜んだ。

次回登板は24日か25日に3回、60球をメドに先発する。「ここ1、2年、痛かったり痛くなかったりが続いているので、試合中も痛くないかを考えていた」と2年以上も苦闘する右ひじ痛を克服したわけではないが「今日も痛くないし、明日もなければ次のステップへ行ける」とまずは順調な1歩をしるした。

2007年10月22日 09時49分 日刊スポーツ

シカゴ・ホワイトソックス傘下の3Aシャーロットで登板した昨年4月を最後に実戦マウンドから遠ざかっていた野茂。およそ1年半ぶりとなった実戦登板では、1安打を許したが無失点に抑え、メジャー復帰に向けて上々のスタートを切った。なお、ベネズエラリーグの公式サイトによると、降雨による中断が長引いたため、野茂は1イニングのみでマウンドを降りたという。

1995年にロサンゼルス・ドジャースでデビューした野茂は、13勝6敗、防御率2.54を記録してナ・リーグ新人王を獲得。その年のオールスターでは栄えある先発投手も務めた。その後も、2001年には自身2度目となる奪三振のタイトル獲得、ノーヒットノーランを2度など素晴らしい成績を残し、タンパベイ・デビルレイズ時代の2005年には日米通算200勝を達成した。しかしデビルレイズを解雇されると、ニューヨーク・ヤンキースやホワイトソックスのマイナーに籍を置いたが、再びメジャーのマウンドに上がることはなかった。メジャー通算では320試合に登板し、123勝109敗、防御率4.21の成績。

2007年10月21日 15時02分 ISM



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トルネードが復活する。大リーグ復帰を目指し、右ひじ手術後のルハビリを続けていた野茂英雄投手(39)が中南米ウィンターリーグに参加する。野茂は06年6月に右ひじの遊離軟骨除去手術をしていらい、1年以上リハビリを続毛手、現在は試合に投げられる状態にまで回復した。ベネゼラリーグに参加し、試合を通じてアピールし、来春の大リーグキャンプへの招待を狙う。

1年以上のリハビリとトレーニングを経て、ようやく野茂がマウンドに帰ってくる。メジャー復帰を目指し、今月中旬過ぎから始まるウインターリーグの参加を決めた。現在は、右ひじの状態も良好でトルネードからの速球もフォークボールも実戦レベルになった。

ウインターリーグには、メジャーリーグのシーズンを終えた中南米系の一流選手らも続々と参加してくる。はい上がろうとする時代の若手スターらも加わり、年明けには勝ち抜いたチームによるカリビアンシリーズも行われる。激しい競争の中で、野茂の描くシナリオはこうだ。試合勘を取り戻し、結果を出して大リーグ各球団にアピールし来春のキャンプへの招待を得る。さらにキャンプで生き残りメジャー復帰へ。
06年ホワイトソックス傘下の3Aシャーロットから戦力外となった直後の6月に、遊離軟骨を3つ除去する右ひじのクリーニング手術を受けた。「投手を長く続けていれば、こういう状態になることはしょうがないことです」と話していた。
リハビリで右のひじの回復はなかなか進まなかった。「きょう調子がよくて投げることができても、また少し調子が悪くなったりと一進一退の様子(関係者)だった。野茂は数年前から「40歳以上になっても投げ続けたい」とトレーニング方法も変えており、今回サポートするスタッフも含め、復帰時期をいつまでと決めず体を根本から鍛えなおした。春先は、フロリダ州タンパにできた最新のトレーニング施設を使い、その後はほとんど温暖なロサンゼルスでトレーニングを続けてきた。ひじ以外は肩も腰も問題なく、その右ひじも回復した。

夏に39歳になった。率直に言えば1年以上のブランクを経たベテラン投手がメジャーまで復帰する道は厳しい。だがこれも野茂らしい人生。「夢をあきらめるな」と言い続けるのは、ほかならぬ野茂自身だ。日本人メジャーリーガーの活躍の道を開いたパイオニアが、もう1度、夢への挑戦を始めた。

10/06日刊スポーツ

メジャーを”メジャー”にした男

あまたいる日本人メジャーリーガーの中でも、“パイオニア”と呼ぶにふさわしい男といえば、1995年にドジャース入りした野茂英雄ということになるだろう。日本球界では最多勝4度の実績を誇りながら、年俸およそ11万ドル(約130万円)という厳しい条件でのメジャー挑戦だったが、その活躍は日本中を沸かせた。しかし、野茂の功績はパイオニアとして長谷川滋利、伊良部秀輝、佐々木主浩といった後進に道を切り開いたことだけではない。今でこそメジャーの話題がニュースで真っ先に取り上げられ、スポーツ紙の一面を飾ることも決して珍しいことではないが、野茂の活躍以前にはまずお目にかかることのできない光景だった。そう、野茂がメジャーリーグを日本で“メジャー”にしたのである。