提橋和男の新管理人のつぶやき
(2006/11/30)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 948-2

プロ野球日本シリーズ(2)

北海道日本ハムの勝因を探る
      2006年日本シリーズ総括
            小野俊哉(2006年10月27日)

「7戦までもつれる」との予想も4勝1敗で決着
 中日と北海道日本ハムの日本シリーズは、北海道日本ハムが4勝1敗の成績で、44年ぶりの日本一に輝いた。強い投手力、犠打を用いる堅い戦術など似通ったチームの対戦ということで、シリーズ前は7戦までもつれるとの予想が多かったが、初戦は中日が取るも、2戦目から北海道日本ハムが4連勝した。

 5戦を通じ、北海道日本ハムは20得点、中日は8得点。北海道日本ハムは、4番セギノールと、MVPに輝いた5番の稲葉篤紀が計4本塁打を放ち、3−5番の中軸打線が15打点を上げたのに対し、中日はわずかに2打点。中日の4番ウッズが打点ゼロに封じられ、3−5番の三振は北海道日本ハムの8に対して中日は16を数えた。しかし一方で、3−5番の安打数は、北海道日本ハム14本、中日12本と大きな差はない。それにも関わらず、得点にこれだけの大差を生じさせたのが、1−2番打者の戦術差である。

日本シリーズ5試合を通じて、7度先頭出塁を果たし、6度生還した森本

犠打を多様した堅い攻めが効果を発揮
 5戦を通じ、中日は1番・荒木雅博が5度、2番・井端弘和が4度出塁したのに対して、北海道日本ハムは1番・森本稀哲が10度、田中賢介が6度の出塁。7度先頭出塁した森本は、6度の生還を果たした。1−2番打者のOPR(出塁率+生還率)は、北海道日本ハムが5戦で8割9分5厘とシーズン以上の数字をマークをし、中日は4割4分2厘と精彩を欠いた。

 森本の6得点のうち、2番・田中賢の犠打で得点圏に進んだのは5回。さらに、北海道日本ハムは13犠打のうち、7回を得点に結びつけ、シーズン通りの作戦を取った。一方で中日は6犠打のうち、得点に結びついたのはわずか2回。得点圏へ確実に走者を送るヒルマン監督の堅い攻めは効果を発揮したが、落合博満監督はなぜか犠打を嫌い、中日打線は接戦の場面で6併殺とチャンスに打てなかった。

 6−9番の下位打線では、中日は25度出塁し、出塁率3割5分2厘。北海道日本ハムの15度出塁、出塁率2割2分1厘を大きく上回り、よくチャンスをつくった。しかし、打つべき1−5番で中日は打率1割9分7厘しか打てず、一方の北海道日本ハムは3割9厘。上位打線の迫力では、北海道日本ハムが一枚も二枚も上だった。

満点の結果を出したリリーフ陣
 投手力はについては、中日の先発が1勝4敗、防御率3.09に対し、北海道日本ハムが4勝1敗、防御率2.15。中日の先発陣は被打率2割3分1厘の1本塁打とよく抑えたが、救援が3本塁打を浴び、被打率3割8厘、防御率6.30と崩壊。抑えの切り札岩瀬仁紀が1度しか登板できなかった。
 一方の北海道日本ハムのリリーフ陣は、延べ13投手が14回2/3を投げ、第1戦の1失点のみと安定した投球。被打率1割3分に抑え、防御率が0.61と満点の結果。中でも、ストッパーのマイケルが4度登板し3セーブを上げたが、打者12人をパーフェクトに抑えたのが光った。MVP、敢闘選手、優秀選手を見渡すと、北海道日本ハムリリーフ陣の名前が誰一人見当たらないが、抑えの力量差こそ、北海道日本ハムに勝利をもたらした最大の要因なのかもしれない。

<了>

■小野俊哉/Toshiya Ono

岡山県出身。早大卒。スポーツデータの配信サービスを行うスポーツ・アクセス代表取締役。プロ野球の大物OBを迎えてのトークライブ『白球伝説あの時、あの瞬間〜未来へ繋ぐ』を2006年から開催(1回目は2月5日古葉竹識・元広島カープ監督)。詳しくはHP『プロ野球plus!』から。HPでは無料会員向けにカラーグラフ、データを公開し、新しいプロ野球の楽しみ方の提案を続けている。『プロ野球マスターズリーグ』、『茨城ゴールデン・ゴールズ』へ公式記録を配給。

胴上げは最後に…ヒルマン監督「日本一?シンジラレナ〜イ!」

ヒルマン監督も小笠原も、今宵ばかりはハメをハズしてビールかけ

 (日本シリーズ、日本ハム4−1中日、第5戦、日本ハム4勝1敗、26日、札幌ドーム)自分よりも選手を先に−。ヒルマン監督は、次々と胴上げされていく新庄、小笠原らを温和な表情で見つめ、手をたたいた。そして最後の最後にナインに囲まれ、控えめに2度宙に舞った。

 「日本一? シンジラレナ〜イ! 北海道のみなさんは世界で一番です。この球団で指揮をとれたことをうれしく、誇りに思います」。お立ち台では、おなじみとなったフレーズを気持ちよく絶叫。満員のスタンドと喜びを分かち合った。

 2年目のダルビッシュ、ルーキー八木、武田勝の投手陣。野手では森本、田中賢が象徴するように、監督4年目にして若くて生きのいいチームを作り上げた。常に選手の体調管理を重視し、決して無理はさせなかった。そんな誠実な指導方針が、選手たちからも信頼された。

 誠実。これはファンに対しても同じだった。02年オフ、日本ハムの監督に就任したとき「自分は何でもする。怖がらずになんでも言ってくれ」。球団にこう伝え、ファンサービスに協力し続けた。一昨年9月のストライキ中も、札幌駅で1000人と握手。「グラウンドでプレーできないことを、ファンにおわびしたい」。翌日、手がはれ上がるほど、ファンとの触れ合いを大事にした。

 いつも隣にいる岩本通訳は、ヒルマン監督の人間像をこう表現している。「監督は家族と野球とファンを愛する人です」。この日スタンドには73回目の誕生日を迎えた最愛の父・ロイスさんの姿があった。息子の胴上げを楽しみにしていたロイスさんにも、最高の親孝行ができた。

 「ファンがいなければ日本一を手に取ることはできなかった。本当に感謝しています」。喜びを分かち合ったヒルマン監督はいま、故郷テキサスのレンジャーズ監督候補にも挙がっている。自らの去就も、自分に誠実に決めていく。

(大塚功)

■トレイ・ヒルマン(Trey Nillman)

1963年1月4日、米テキサス州生まれ、43歳。テキサス大アーリントン高を卒業後、84年にインディアンス入団。3年間マイナーリーグでプレー。引退後ハヤンキース傘下のマイナーで13年間監督、コーチなどを歴任、01年11月にレンジャースのマイナー育成部長。02年12月、レ軍を退団、日本ハムの監督に就任。1メートル78,81キロ。既婚。年俸8000万円。背番号88。

⇒V腕ダルビッシュ!