提橋和男の新管理人のつぶやき
(2006/10/23)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 935

仰げば尊し我が師の恩 =「水の舞」物語(1)=

千葉県・柏市に住む我が恩師A先生は10年前に脳溢血で倒れられた。先生は我が母校都立葛飾商業で英語を教えておられました。私は卒業後同窓会会長となって、同窓会を指導されておられた先生のお宅へ遊びに行ったことがある。まだ、20歳の頃のことで、会社の仕事と同窓会の仕事の板ばさみになって苦しんでいたので、そのことを訴えに行ったと記憶している。先生は私の訪問を大変喜ばれ、「本当は小人数で自宅で心行くまで英語の授業をやりながら大いに生徒と語り合いたい」と仰られたことを今でも覚えている。

最近、教育現場がどうなっているのか、学校が信じられない状況になっている。福岡の中学校で起きた自殺事件。中学2年生の男子生徒の自殺の原因が、何と担任の教師が苛めの発端だったという。また、ある中学校で女生徒が登校したら、その女生徒の机の上に彼女の教科書が焼かれて置いてあって、机の周りにカミソノの刃がバラまかれていたという。その中学校では緊急の生徒総会が開かれて、学校側から「マスコミがうるさいから、絶対に口外しないように」と注意があったという。けさのTVでみの・もんたが怒って報道していた。

 


柏まつり

都・葛飾商高校舎(昭和40代)

平成2年、母校の同窓会新聞に書いた私の小文がある。

神戸市の県立高校の女子生徒校門圧殺事件で自分の遅刻体験を思い出した。私は卒業試験直前インフルエンザで寝込み、試験当日はフラフラの状態で登校した。チャイムが鳴って皆が遅刻しまいと走り出すが私には走る元気がない。
校門にたどり着いて週番に生徒手帳を差し出すとB先生が「昨日まで休んでいたんだろ、無理するなよ」と言葉をかけて下さり、校門を通して下さいました。
(私も週番委員をしていましたので、当番のときは遅刻を取り締まる側でした。)

石田僚子さんは、初めての遅刻だったそうです。遅刻にはどんな理由があったかわかりません。生徒が走り込んでくることがわかっていながら、ただ機械的に門扉を閉めたために起きたこの事件に戦慄を覚えたのは私だけでしょうか?
生徒と先生の間に信頼関係があれば、そしてB先生をはじめ我が母校葛飾商業の様に血の通った教育が行われていれば事件はおこらなかったと残念でなりません。 

この事件は、皆様のご記憶にはもう無いとおもいますが、遅刻の生徒が校門へ駆け込んでくるのに無理やり鉄の門扉を閉めたために石田僚子さんは門扉にはさまれて圧死した。生徒がはさまれているのに、それでもなお門を閉め続けた教師の心はなんであったのだろうか?私の遅刻体験との違いに、私には強烈な印象が今でも残っています。

ところで、この小文を書いたときには気がつかなかったのですが、全校生徒1,600人の中のたった一人の生徒、私が前日までインフルエンザで休んでいたことを知っていたこと事態、大変なことです。B先生は私の担任ではありません。
おそらく、卒業試験が近づいているのに、インフルエンザで休んでいる私の処遇をどうするか、職員室で学年の先生方の話合いがあったのではないか、と想像します。
昨今の学校での事件や教師のあり方を見ていると、当時の我が母校は、校長先生以下、教職員が、ひとりひとりの生徒の動向をしっかりと把握し指導していたのだと、今更ながら思うのです。


水の舞

その恩師のひとりA先生が「倒れた」という情報を得て、私は「水の舞」を先生のお宅にプレゼントして、取り付けに伺いました。まだ小学校4年生だった長女と…。
その、水の舞がとうとう壊れてしまったのです。修理するよりも、新しいH−1を購入するということになりました。
久しぶりに先生のお宅へ伺いました。先生は後遺症があって言語が不鮮明ですが、それでもとてもお元気そうで「還元水の効果」かと嬉しくなりました。
水の舞を取り外して、H−1を取り付けていると、奥様が、「あのときのお嬢さまはお幾つになられました?」と質問されました。21歳になったというとビックリされていました。「あのとき、お父様のお手伝いで、一生懸命お水の説明をしてたのを覚えていますよ。」
そんなこともありました。あの頃は楽しかった。まだ、今のようなせちがらい社会ではなかった。


トリムイオンH−1

設置後、先生ご夫妻と歓談させていただきました。「主人も提橋さんが見えて喜んでいますのよ」と奥様。体を壊してから一切の会合を断っているそうで、人と会うこともないので、こうしてお客様が見えて話が出来ることが嬉しいのだそうです。
「また、時々お邪魔してもよろしいですか?」という私に「どうぞどうぞ、ぜひいらして下さい」と奥様。
こんど、私のリストラ物語として出版された本を届ける約束をして、先生のお宅を後にとました。

仰げば尊し我が師の恩…先生は今年77歳、最後は都立荒川商業高等学校校長職でした。教え子の私が60歳。「エッ、君たちが60歳か!」と先生。
光陰矢の如し。葛飾商業時代は、遥かに遠くなりにけり。先生、H−1の還元水でいつまでもお元気で。