提橋和男の新管理人のつぶやき
(2006/8/23)

提橋和男の新☆管理人のつぶやき 907-3

日本新記録を跳んで

 池田久美子=スズキ陸上競技部ホームページ
        http://www1.suzuki.co.jp/t_and_f/reports/2006/ikeda_nr/index.html より=



池田選手のサイン

スズキホームページをご覧になっている皆さん、こんにちは。スズキ陸上競技部の池田久美子です。いつもご声援、ご支援をいただき、ありがとうございます。私たち選手にとっては、ファンの方たちの応援が、本当に大きな力になります。おかげをもちまして、5月6日の国際グランプリ陸上大阪大会で6m86と、念願の日本記録を跳ぶことができました。

● 父への報告
 日本新記録と知ったときは、込み上げてくる涙を止められませんでした。小学生のときから陸上競技をやってきて、中学記録やジュニア記録、学生記録も出しました。でも、初めての日本新記録は、これまで経験したことのない気持ちでした。



2回目の跳躍後,日本新と知った池田は
スタンドに泣きながら手を挙げた

 一番に考えたのは、父・実のことです。小学校のときから私を指導してくれて、陸上競技の楽しさを教えてくれました。中学までは記録もどんどん伸びて、「7mとオリンピック出場」が自分の夢になりました。父も若い頃、走幅跳の選手だったんです。高校時代は記録を伸ばせなくて辛い思いもしましたが、その頃は父がコーチを務めていた高校に通っていましたから、父に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいした。
 大学に入って川本和久先生(福島大監督)の指導を受け始めてからは、私の応援団長になってくれて、仕事の合間を縫って応援に駆けつけてくれていた父。でも、その父が昨年2月、他界してしまいました。生前、父が最後に応援に来てくれた試合が、2年前の大阪グランプリだったんです。
「お父さんやったよ」
 日本新記録を跳んだ私は、2年前に父が座っていたスタンドを見て、天国の父に報告していました。

● スプリント力と体のコントロール
 日本新記録を出せた主な理由は、記者会見などでもお話したように、スプリントの力が上がったことと、自分の体をコントロールできるようになったことだと思います。
 川本先生は、短距離の指導が専門。これまで先生が教えた選手が、女子の100 m・200 m・400 m・400 mHで日本記録を出しています。私も川本先生のおかげで、速く走れるようになりました。
 最近では、昨年の世界選手権のビデオを見て変えたことがあります。接地局面の後半で地面に力を加えていたのを、前半で加えるようにしました。それで、脚が流れない――陸上競技独特の表現ですけど、蹴った脚を素早く前に出す動きです――ようになりました。その結果、いつもは記録が落ちるシーズン後半に、去年は安定して6m50〜60台が跳べたのです。



池田の跳躍。
静岡国際の時よりも、
前方に 視線を持って
いく点に注意したという。

 冬の間に先生が全国各地で講習会を行っていますが、そこにアシスタントとして付かせてもらったのも良かったと思います。先生が子供たちに説明するのを聞いたり、私が手本を見せているうちに、自分の考えが整理できました。
 筋肉の付き方も変わってきました。農耕民族である日本人は、腰が引けている姿勢になりがちですが、それを黒人選手のように、重心を高くする姿勢を心掛けました。骨盤を立てるイメージです。お尻を突き出して、背中を反らせる。その姿勢をとることで、お尻の上の筋肉が付きました。走るときも骨盤の前、腹筋の下の方を意識しています。Vラインに沿って、筋肉がきれいに付いてきたんです。
 そして、色々な局面で、動きを調整できるようになりました。川本先生から「踏み切り1歩前を後ろに着くように」とアドバイスをされて、その修正ができたから日本新を跳べた。これは、3日前の静岡国際で6m75をマークしたときもそうでした。織田記念の100 mHは予選と決勝がありましたが、予選で体が浮いてしまっていたのを、決勝では肩の動き等を変えることで、抑えることができたんです。
 練習でも先生に、こうやってみたら、と言われるとすぐにできるようになりました。走力アップがよかったのだと思いますが、自由自在に身体が動く感覚があります。そういったことがまず、4月の織田記念の100 mHで13秒04(日本歴代2位)と、0.16秒も自己記録を伸ばすことに表れました。そして、走幅跳の日本記録にも。
 父が教えてくれた走幅跳は、とにかく速く走って遠くに跳ぶ、というものでした。川本先生に教えてもらっていることも、速く走ることが中心です。それに加えて、体のコントロールを覚えて、上手く踏み切れるようになりました。一歩前の接地位置を変えることで、助走スピードを生かした踏み切りができるようになったのだと思います。

● 日常生活での心掛け
 もう1つ、今回の記録につながったことがあります。それは、日常生活での心がけです。きっかけは昨年のヘルシンキ世界選手権でした。2cm足りなくて決勝に進めなかった。競技人生で一番悔しかったことの1つです。
「何が足りなかったのだろう。力は付いているはずなのに。これから、どうやって戦っていけばいいんだろう」
 自問自答を繰り返しました。そして私は、日常生活や気持ちの部分に目を向けたのです。ただ練習して強くなればいい、と考えず、人のためになることをやろう、と。いいことをしたら、もっといいことが起こる。いいことをした分、返ってくるものがあるかもしれません。
 例えば日常生活では、ゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱まで持っていったり、そういったちょっとしたことです。
 気持ちの部分ではこれまでより、陸上競技を盛り上げることを考えるようになりました。以前の私は、試技に集中するには自分だけの世界に入るタイプでした。よっぽどテンションが高くならない限り、スタンドに手拍子を求めなかった。それが今季は、静岡も大阪も、ずっとお客さんに手拍子をしてもらっている。みんなと盛り上がって、一緒になって跳ぼうという心境になっています。
 感謝の気持ちも強くなりました。走幅跳ができるのは砂場や助走路を造ってくれて、整備をしてくれる人がいるからです。お客さんが入らなかったら、競技会も成立しません。自分が競技をできる環境にいられることに感謝をして、少しでも恩返しをしたい。 そういった気持ちを持てば自ずと、試合の1本、練習で走る1歩を大切にします。試合で負けても、八つ当たりしたり、他人のせいにしなくなる。そういった気持ちがあったら、いつまでたっても強くなれません。いくら試合や練習を頑張ろうとしても、日常がダラダラしていたら、そこに結びつかないのです。人間としての器を大きくすることが、競技にもプラスになると思っています。

● 森ちゃんと同じ日本記録保持者に
 日本記録を出せて嬉しかった理由の1つに、森ちゃんと一緒になれたことがあります。スズキで私と同期入社だった森千夏選手のことです。森ちゃんは学生時代から女子砲丸投の日本記録保持者で、入社2年目の2004年には日本人初の18m台を投げています。入社1年目のパリの世界選手権は一緒に出場しましたが、彼女は私が出られなかったアテネ・オリンピックにも出場しました。私の一歩先を行っていた選手ですし、いつも、日本記録保持者っていいな、と思っていました。
 その森ちゃんが今、病気と闘っています。虫垂がんという珍しい病気です。持ち前の明るさで頑張っていますが、治療も大変な状態です。会社もできる限りのことをしてくれたし、スズキの選手たちもお見舞いを送っています。でも、1回の治療にも大変なお金がかかると聞いています。

 彼女の母校の東京高校が、積極的に支援活動を始めました。織田記念、静岡国際、国際グランプリ大阪と、大きな試合会場では400 mHの為末大さんが中心になって、選手たちが彼女の援助を呼びかけてくれています。日本陸連も支援口座を開設してくれました。この場をお借りして皆さんにも、彼女の支援と、励ましのメッセージを送ることをお願いしたいと思います。私もさっそく、日本記録の報告をしました。

● 静岡から大阪へ、スズキから世界へ
 5年前に6m78の学生記録を跳びました。日本記録に4cmと迫るすごい記録でしたし、その跳躍があったから、エドモントンの世界選手権も経験できました。エドモントンでは運よく、決勝に残ることもできた。でも、あのときの6m78は、勢いで出した記録だったと思います。どこをどうやって跳べたのか、今思えばわかっていませんでした。
 今回の記録は、どうやったら跳べるのか、それを理解して出した記録です。もう1回跳べと言われたら、跳べると思いますし、今後はこのレベルの記録安定して出していくことが目標となります。
 今回、5月3日の静岡国際、6日の国際グランプリ大阪と続けて、しっかりと跳べたことが収穫でした。中2日で開催されましたから、世界選手権やオリンピックのことを考えて、静岡が予選、大阪が決勝と位置づけたんです。実際は6m75と5年ぶりに70台を跳びましたが、静岡の前半3回で6m66を跳ぶことができました。追い風3.7mで参考記録ですが、この記録を予選で跳べば世界選手権でも決勝に残れます。
 そして決勝と見立てた大阪の2回目に、6m86を跳ぶことができました。間違いなくベストエイトに残れる記録です。後半3回の試技をすることが許されます。日本新を出した直後の3回目は、気持ちを落ち着かせるためにパスをしましたが、後半の3回は世界選手権決勝の、後半の試技だと思って跳びました。記録更新はできませんでしたが、最後の6回目に6m75を跳べたのは良かったと思っています。
 国際グランプリ大阪が行われた長居競技場は来年8月、実際に世界選手権が行われる場所ですし、静岡はスズキがある県です。静岡から大阪。つまり、スズキから世界に行ったのだと感じました。今まで、来年の世界選手権は入賞が目標でしたが、今回日本記録を跳べたことで、メダルを目標にしてもいいかな、と考え始めています。

 これからも目標に向かって精一杯、頑張ります。変わらぬご声援を私と、スズキ陸上競技部にいただけたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願いします。

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