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提橋和男の新☆管理人のつぶやき 888-2
士道不覚悟(2)
江戸・小石川の試衛館以来の同志、総長・山南敬助が新選組を脱したのは、慶応元年2月21日未明のことであった。
司馬遼太郎は「燃えよ剣」でこの場面を次のように書いている。

土方歳三 |
(山南が?)
と歳三は、まだ夜がつづいている真っ暗な自室の中で、その報告を聞いた。報告者は廊下にいる。監察の山崎烝(やまざき・すすむ)である。
「山崎君、たしかなことかね」
「さあ。置手紙があり,お部屋に大小,荷物がなく,ご当人がいらっしゃいませぬ。それでご判断をねがいます」
「その置手紙をみせてもらおう」歳三は,付け火に火をつけ、その火を行燈に移そうとしながら、なにげなくいった。が、山崎は,入って来ず、障子に手もかけない。
「どうした」
「いや,申しおくれましたが、あて名は,近藤先生ということになっております」
「ああ、そうか」
除け者にされている。が,歳三は、つとめて冷静にいった。
「山崎君。近藤さんの休息所への使いは行ったでしょうな」
「まだです」「なぜ,早く行かない」
「私が,ただいまから参ります、まず土方先生に、と思ったものですから」
(利口な男だ)順をみださない。副長職である歳三の職務的な感情をよく心得ていた。組織はつねに山崎のような男を要求している、と歳三は思っている。

新選組血風録 |
二月にしては寒すぎる朝である。歳三は、近藤の休息所へゆくためひとり、門外へ出た。故郷の武州南多摩のような霜柱こそ立たないが、骨が凍るように寒い。
いつのまにか、沖田総司が、歳三の横に寄っている。
「大変ですな」
と、沖田は低い声でいった。この明るすぎる若者の声が、めずらしく沈んでいる。沖田は江戸の芋道場時代から、山南と仲がよかった。山南は32。沖田より10歳の年長で沖田を弟のように可愛がっていた。
「いいひとだったですがねえ」と、歳三の横顔をみた。
だまっている。
沖田は、歳三がつら憎くなった。
(山南さんは、このひとが憎いあまり隊法を犯して脱走したのだ)とみている。
沖田だけではない。局中のたれもが、そうみるはずである。
一方は総長。
このほうは、副長

新選組血風録・
沖田総司(島田順司) |
身分は、同格である。だが、隊士の直接指揮権は副長がにぎり、総長は、局長近藤の相談相手役、というほどの職務になっていた。そういう組織にしたのは、歳三である。
山南敬助は、棚上げされていた。というより、この仙台人は、棚ざらしになっていた。
(山南さんは、このひとを憎みきっていた)だけではない。
山南は、思想が違う。出が、北辰一刀流である。この流儀は、千葉周作以来、水戸徳川家と縁が深く、千葉一門の多くは水戸藩の上士に召し抱えられており、門生たちは、剣を学ぶとともに、水戸式の理屈っぽい尊皇攘夷主義の洗礼を受けた。この門から、行動的な尊攘主義者がどれだけ出たかは数えることができない。沖田が知ってるだけでも、死んだ清河八郎、それにあらたに新選組に加盟した伊東甲子太郎がいる。
(山南さんも、根は、その派のひとなのだ)
沖田は、次第に明るくなってゆく坊城通りを歩きながら、おもった。
(が、このひとはちがう)
歳三は、思想など糞くらえ、と思っている。芸人が芸に夢中になるように、自分が生んだ新選組の強化に、無邪気なほど余念がなかった。そこが沖田の好きなところではあったが、しかし知識人の山南敬助は、そういう歳三の、主義思想のない無智さには堪えられなかったのであろう。
−住みづらいところだよ。
と、かつて池田屋の変のあと、沖田にぼやいたことがある。
−新選組が、何のために人を殺さねばならぬのか、私にはわからなくなった。われわれはもともと、攘夷の魁(さきがけ)になる、という誓いをもって結盟したはずではなかったか。そのはずの新選組が、攘夷決死の士を求めて斬ってまわっている。おかしいとは思わないか、沖田君。
−ええ。
と沖田総司は、そのとき、あいまいな微笑をうかべてあいづちを打った。
「沖田君」
と、このときの山南はめずらしく昂奮していて、しつこかった。なぜはっきりと意見をいわないのか、と詰めよるのだ。
「こまるなあ、私は。−」
と沖田は頭をかいた。池田屋では、沖田がもっとも多く斬っている。山南はあの斬りこみには参加していない。
「君は、新選組をどう思っているのですか」
「−私ですか」沖田は、とどまった。
「私は、兄の林太郎も、近藤先生の先代の周斎老先生の古い弟子ですし、姉のお光は、土方さんの生家と親類同様のつきあいをしていた。そういう近藤、土方さんが京へのぼるとなれば私は当然、京へのぼらねばならない。だから、その攘夷とか、尊皇とかは−」
「関係がないな」
「ええ、そうなんです。−だけど」沖田は照れくさそうに笑ってから、
「私はそれでいいんですよ」と、はじめて明るくわらった。
「君は、ふしぎな若者だなあ。私は君と話していると、神様とか諸天(しょてん)とかがこの世にさしむけた童子のような気がしてならない」
「そんなの、−」沖田は、あわてて石を一つ蹴った。この若者なりに照れているのである。
−土方さん。
と沖田は、このときも石を一つ蹴った。小さな声で、「あのね」と、歳三に話しかけた。「山南さんをどうするんです」
「おれにきいたって、わかるもんか。そういうことは、新選組の支配者にきくがいい」
「近藤さんにですか」
「隊法さ」
それが新選組の支配者だ、と歳三はいった。しかもその局中法度や、隊規の細則は、山南自身も合議の上で決めたものである。
(切腹だな)総司は思った。が、すぐ、沖田は、大きな声でいった。
「土方さんは、みなに憎まれていますよ。山南さんはむろん、土方さんを憎みきっている。蛇蝎(だかつ)のように、といっていい」
「それが、どうした」平然としている。
「どうもしやしませんよ。ただ、みな、あなたを怖れ、あなたを憎んでいる、それだけは知っておかれていいんじゃないかなあ」
「近藤を憎んでは、いまい」
「そりゃあ、近藤先生は慕われていますよ。隊士のなかでは、父親のような気持ちで、近藤先生をみている者もいます。あなたとはちがって。−」
「おれは、蛇蝎だよ」
「おや、ご存じですね」
「知っているさ。総司、いっておくが、おれは副長だよ。思いだしてみるがいい、結党以来、隊を緊張強化させるいやな命令、処置は、すべておれの口から出ている。近藤の口から出させたことが、一度だってあるか。将領である近藤をいつも神仏のような座においてきた。総司、おれは隊長じゃねえ。副長だ。副長が、すべての憎しみをかぶる。いつも隊長をいい子にしておく。新選組てものはね、本来、烏合の衆だ。ちょっと弛めれば、いつでもばらばらになるようにできているんだ。どういうときがばらばらになるときだか、知っているかね」
「さあ」
「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。副長が、山南や伊東(甲太郎)みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口から出る。自然憎しみは近藤へゆく。近藤は隊士の信を失う。隊はばらばらさ」
「ああ」沖田は素直にあやまった。
「私がうかつでした。土方さんが、そんな憎まれっ子になるために苦労なさっているとは知らなかったなあ」
「よせ」
沖田の口から出ると、からかわれているようだった。
「性分もあるさ」にがい顔で、いった。
近藤も、さすがに真蒼になった。山南は、江戸の近藤道場の食客で、結盟以来の同志である。しかも、隊の最高幹部のひとりであった。その脱走は、隊の行き方に対する無言の批判といっていい。
「古い同志だが、許せない」と、近藤はいった。脱走を山南にのみかぎってゆるすならば、隊律が一時にゆるみ、脱走が相次ぎ、ついに収拾がつかなくなるだろう。
−江戸に帰る、とある。と、近藤は、手紙を読み終わってから、いった。
それをきいて、沖田は、ほっとした。山南が、例の伊東甲太郎とあれほど昵懇になりその説に共鳴しながら、伊東に同調して党中党をたてることをしなかった。−江戸へ帰る。山南はただ、帰ってゆくのであろう。そこにどういう政治的なにおいもない。
(やはり好漢なのだなあ)
沖田は、近藤邸の庭をぼんやりみながら、あの仙台なまりの武士のことを思った。が、そのとき、近藤の表情が動いた。唇が、何かいおうとした。が、それを引き取って、
「総司」といったのは、歳三のつめたい声であった。
「お前がいい。山南君と親しかった。いますぐ馬で追えば、大津のあたりで追っつくだろう」
「−討手?」
自分が。という表情を、沖田総司はした。きっと、たじろぐ色が、浮かんだに違いない。沖田は腕がすぐれている。その意味で、ひるんだのではない。
「いやか」
歳三は、じっと沖田を見つめた。
「いいえ」
少し、微笑った。それが、急に明るい笑顔になった。体のどこかで、山南への感傷を断ち切ったのだろう。
沖田は屯所へ駈けもどった。
馬に乗った。駈けた。寒い。口鼻からはいりこんでくる冷気が、鞍の上で、沖田を咳きこませた。沖田の咳をのせて、馬は三条通りを東へ駈けた。
粟田口(あわたぐち)あたりで、手甲(てっこう)を口へあてた。布が、濡れた。わずかに、血がにじんでいる。
(自分も,永くはないのではないか)
そうおもうと、右手にすぎてゆく華頂山の翠(みどり)がふしぎなほど鮮やかさで眼にうつった。
大津の宿場はずれまできたとき、一軒の茶店のなかから、「沖田君」と呼ぶ声がした。
山南である。葛湯を入れた大きな湯飲みをだいじそうに両手にかかえている。
沖田は馬からとびおりた。
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